現存する最古の楽譜史料は、9世紀後半のものである。それ以前は、聖歌は口頭で伝承されていた。多くの研究者が、記譜法の発達がヨーロッパ全土へ共通の聖歌が普及する要因となったと考えている。最初期の楽譜は、主にドイツのレーゲンスブルク、スイスのザンクト・ガレン修道院、フランスのランおよびリモージュのサン・マルシャル修道院に残されている。
グレゴリオ聖歌は、「堕落した」歌を「元の形」に糺すという名目で、しばしば改訂を加えられた。初期のグレゴリオ聖歌は、教会旋法の理論的構造に合致するように改変されている。1562年から3年にかけて、トリエント公会議によりセクエンツィアのほとんどが禁止された。ギデット(Guidette)の1582年発行の Directorium chori および1614年発行の Editio medicaea は、当時の美学的基準にあわせて、堕落し、問題があるとみなされた「粗野な部分」を徹底的に改変している[20]。1811年には、フランスの音楽学者アレクサンドル=エティエンヌ・ショロン(Alexandre-Étienne Choron)が、フランス革命中のカトリック教会の無力への過激な保守反動の一貫として、フランス的堕落を廃し、「純粋な」ローマのグレゴリオ聖歌へ回帰することを唱えた[21]。
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19世紀末には、古い典礼書や音楽写本が調査され、校訂されるようになる。1871年、メディチ家のグレゴリオ聖歌写本が再版され、教皇ピウス9世によって、唯一の公式な版と認定された。1889年には、これに対抗し、中世のもともとの旋律を追求した Paléographie musicale (音楽の古文書学)がフランスのサン・ピエール・ド・ソレーム修道院によって出版された。ソレーム修道院の復興聖歌は研究者には高く評価されたが、教皇庁には拒否された。 その後ソレーム修道院の聖歌は『リベル・ウズアリス』にまとめられ、1903年に教皇レオ13世が没すると、その後継者ピウス10世は即座にソレーム修道院の聖歌を権威あるものと認め、翌1904年には、ヴァチカン版のソレーム聖歌が認定された。しかしその後、ソレーム修道院の校訂に対して、研究者から疑義が呈されることになった。特に問題となったのは、問題の多いリズム解釈を強引に用いるために、様式を恣意的に改変していた点である。ソレーム版では、原本にはないフレーズ記号や、音符の長さを示す「エピセマ」や「モラ」の記号を挿入している一方で、原本にある、リズムや速度の加減などのアーティキュレーションを示す意味のある文字を取り除いている。このような校訂によって、ソレーム版の歴史的正当性は疑われるに至った[22]。
ピウス10世は、1903年の教皇自発教令 Tra le sollicitudine によって、グレゴリオ聖歌の使用を命じ、信徒に対してミサ通常文を歌うことを推奨したが、固有文の歌唱は男性のみに限った。保守的なキリスト教コミュニティではこの伝統が守られているが、第2バチカン公会議にて、グレゴリオ聖歌の代わりに、それぞれの土地の現代の音楽などを用いることが公的に許可されたため、カトリック教会自体はもはやこの制限を維持していない。ただし、教皇庁では、依然としてグレゴリオ聖歌がカトリック教会の公的な音楽であり、讃美にもっともふさわしい音楽であるとしている